ニワトリとタマゴ 重箱の隅の戦い

重箱の隅をつつくような、どうでもよさそうな細かい話やネタ話。おもいついたら即暴走。

その道一筋の「視野狭窄」

「この道一筋○○年」という常套句。かくもその道の達人は、本業となる主軸のみならず、いくつか支柱を立てている。スノーボードの絶対王者ショーン・ホワイトは、バンドのギタリストで全米デビューし、はたまた日本の温泉巡りが趣味という一面も。程度の差はあれど、一見して本業と無関係に見えることにも時間を使っている。持てる時間の全てを主軸「一筋」に費やすような野暮はしない、重心の置き所こそが「一筋」なエキスパート達。

視野狭窄君

 他のことに興味を持たない「本当の一筋」の末路

凡人未満の自分を比較に出すなど失礼は承知の上として。幼稚園の頃から半田ゴテを握り、その後も形を変えつつ電気と機械にどっぷり浸かり、その道に関しては常に「聞かれる」立場で調子付く。自信満々で開発部に入り、最初に出された研修課題。そこで同期の書いた優れた回路を目の当たりにし、天狗の鼻折れる。敵はどれだけのエキスパートかと思えば、限りなく初心者に近かった。とはいえ課題に関して負けた事実は覆らない。
どういうアプローチで作ったのか、教えを乞う。ここで人生観の転機。根本的な発想、アイディアが全く違った。「回路はこう作る」という固定観念で自縄自縛していた自分。「電気回路好き」だけが集まる井戸の中で、皆一様に同じ空を眺める蛙だったと気付かされた。集団的視野狭窄。

 

「押してだめなら引いてみろ」「引けるものなら引いてみろ」

「次元の壁」が突破不能かのごとく、視野狭窄にハマりこむと「引く」という選択肢を探せない。動くまでは押しの一手。それで今回動いても、次また動く保証は無い。回り道を模索するも、本当に「その道」しか知らぬならば、他の道に気づくことは、おそらく無い。志村、後ろ!!

 

無関係なことで頭を切り替える

通勤通学、はたまた夢の中で、何か問題が解決した経験は無いだろうか。全く関係無いことを考えている時。一度問題から離脱を試みることで、いつもの視界を離れ、さながら「神の視点」を拝借しているような感覚。錯覚かもだけど。そんな中で別の迂回路が見えること、押して動かない石ころのどかし方に気づくことがある。一見共通点の皆無な趣味や活動の視点が、大きな助けになることもある。もしも上から見られたら、志村も長さん来る前にトンズラできたろうに。

閉塞した空間で、本当に「その道」しか知らない人が、行き止まりに出くわさずに進み続けられる可能性は、至極低いだろう。風呂を楽しみ飯を楽しみ、それでも新しい視点が見つからず、「井戸が少し広がっただけだ」と感じたら、また一つ新しいことをやってみる。「無駄」なことは何も無い。何もしないことこそが本当の「無駄」と信じて。

 

 

 

 

 

 

で、その結果がこの電波ブログ設立になりました。

クソブログで本当にすいません・・・

 

ありがとうございました。

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