ニワトリとタマゴ 重箱の隅の戦い

重箱の隅をつつくような、どうでもよさそうな細かい話やネタ話。おもいついたら即暴走。

「おおむね平常通り」は報道として許されるの?

朝にテレビのニュースをかけていると、いつも気になります。鉄道の在来線の運行情報を伝えるコーナーで、「鉄道各線は、おおむね平常通りです」っていうフレーズ。こういう重箱の隅ネタが、本当に我慢できません。「おおむね」って、ニュースにしちゃ適当すぎると思いませんか?

 
中継で各新幹線の運行状況を伝えているJRの職員さんは、間違っても「おおむね」なんて言っていません。精度の高い情報を責任をもって提供してくれています。

 

 精度の低い情報は、信頼性の低下は勿論、時として無価値になる

鉄道情報だからこそ、まだ「おおむね」で許されていますが、もしこれが別のものだったらどうでしょう。

  • この地震の影響による津波の心配は、おおむねありません
  • 放射性物質の外部への漏洩は、おおむね問題ありません
  • 軍曹「敵が敷設した地雷の撤去はすんでいるのか?」
    伍長「おおむね撤去完了しております」

どれも限りなく無価値な情報に成り下がっていますよね。「おおむね」ってつくだけで。情報が確定していないために、このまま状況が進行すれば、損害が出る可能性が高いです。

 

報道する側の情報に対する意識レベルはどの程度?

実際のところは、在来線が「おおむね平常通り」と言っているのであれば、致命的な遅れや運転見合わせといった不都合が発生していないことは理解できます。通勤や通学に影響することは無いでしょう。ではなぜ「おおむね」と言うのでしょうか?
可能性を考えてみました。

 

1.放送時間内で言えない程に毎日多数遅れている

世界的に見ても極めて正確なダイヤで運行されている日本の鉄道が、365日に渡って「おおむね」と付けなければならない程、多数遅れているとは考えられません。大規模に渡ってわずかな遅れが発生した日があれば、「おおむね平常通り」と言いたくなるかもしれませんが、これは平常ではなく異常をアピールすべきです。

 

2.数十秒の遅れですら、文句をつけるクレーマが居る

クレーマというのはどんな業種の顧客にも必ず存在するもので、対処方法も様々です。ですが、これはあくまでクレーマと事業者の間の問題です。クレーマに気を使うあまり、一般顧客の利便性を低下させてしまっては、本末転倒です。こんな重箱の隅をつついている私もクレーマかもしれません。

 

3.想定外の場合の「逃げ」の手段を残しておく

情報収集段階でミスがあり、誤報として「平常通り」と発信してしまった場合の言い訳にする可能性。いかにも有りそうですが、ニュースは誤報があった場合には訂正を出します。例えば、山手線で人身事故があったのに取材漏れしていた、という状況を仮定します。「おおむね」なので間違っていません。と言っても通用しません。ですが、これが人身事故ではなく、10分程度の遅れであれば、「おおむね」で押し通せるかもしれません。

 

4.特に考えていない。みんな言ってるから自分も言っておく

しゃべり手の意識の問題。特に何も考えず、持ち時間を消化することを第一に、ただ事務的に字面を読んでいる。そんな中、誰かが使い始めた「おおむね」が、次々と伝染していった。


3の可能性も若干ありそうですが、前述の通り、大きな誤報であれば訂正する必要が出てくるので、主要因とは考えられません。実際は4じゃないかと思っています。憶測にすぎない要素が多いとは思いますが。


受け手の欲している情報はどんなものなのか、判りやすく伝えるにはどうするべきか。そういうことを考えて文脈を構成し、公共電波で情報を発信するのであれば、「おおむね」なんて言葉使えないはずですよね。プロなら。仕事をする上での意識の問題です。目で見えなくても、かならずお客さんがいるものです。

 

もっとも偉そうなこと言っているものの、自分の文章はかなり怪しいですが・・・いやほんとにそう思ってます。 自覚してるんです。

 

天気予報は「おおむね」でも仕方がない

 ただ、例外があると思います。それは天気予報です。確定情報に基づいた未来予測とはいえ、予報は予報です。「関東地方はおおむね晴れるでしょう」等。未来の話をしている訳ですから仕方ないですね。

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