ニワトリとタマゴ 重箱の隅の戦い

重箱の隅をつつくような、どうでもよさそうな細かい話やネタ話。おもいついたら即暴走。

責任の取り方あれこれ。完遂、弁済、示談と「自己責任」

生きていく上で必ずついて回る「責任」というものがあります。重いですね。取りたくないです。でも自分に被害が及んだらちゃんと責任とって欲しいです。・・・とまあ勝手なこと、1度は考えたことありません?嘘ですすいません。残念な自分を棚に上げてまた偉そうなことをネタにしてますすいません。

さて、この「責任」というもの、負うべき役割という意味では共通していますが、その果たし方は場合によって結構違いが有りますよね。「どう責任を取るつもりだ!?」という言葉がある位ですから。ユニーク(一意)ではないですね。重箱の隅発想で考えてたらモヤモヤしてきたので自分的解釈で分類してみました。「自己責任」の話も含めて。長くなるので「責任能力」は有る前提で。

 

 

成し遂げる責任

責任を取る、というと失敗に対しての清算に目が行ってしまいます。が、そもそもは何かしら目的を達成するために、手段を行使する上での責任を負っている訳です。采配ですね。これを成功させることこそが、本質的な意味での「責任を取る」ことかと思います。もっともこういった良い事例の場合は、「責任を果たす」と言う方が多いですかね。

  • 会社の売り上げ超黒字!社長責任果たした!
  • 町内野球チーム祝優勝!監督よくやった!感動した!!

どちらも大成功です。明るい未来が待ってます。

 

損害を補償する責任

さて、悪い方の話にいきます。何かしらの損害を出してしまった側と、その被害にあった側、最低2人いることになります。

  • 事故でぶつけた車を弁償する
  • FXで失敗した多額の借金を完済する 

主に金銭的なことでカタがつくケースです。失った時間等、お金だけで解決しないことも有りますが、大部分は「損害を補償された」という形にもっていくことが可能。

 

一定条件で手打ちとする責任

金銭的な問題でも莫大すぎて補償しきれなかったり、時間が戻らない限りどうにもならない場合等、補償のしようがない場合は、一定条件によって示談という形になります。必ずしも和解になるとは限りませんね。

  • 経営方針の失策で社長を辞職する
  • 落城間近なので本丸で切腹する

どれも根本的な解決策には至っていません。清算しきれません。あまり例がよくないですが、殺人犯に対する死刑執行もそうかと思います。別に死刑にしたからといって被害者が生き返る訳では無いですから。とはいえ殺人犯を放置する訳にはいかない、どうする?といった示談かと。

 

成功も損失も己だけで完結すべき責任

損害を出すも受けるもどっちも自分、わゆる「自己責任」と言われているものですね。ちょっと使われ方が違う気もしますが。

Wikipediaの「自己責任」からの引用です。

  1.  自己の危険において為したことについては、他人に頼り、他人をあてにするのでなく、何よりもまず自分が責任を負う
  2. 個人は自己の過失ある行為についてのみ責任を負う
  3. 個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う

 

  • 競馬で100万賭けて負けた

これは完全に自己責任です。誰も悪くありません。自分以外。

  • 「夜道は危ない」と言われた上で出かけたら車に轢かれた。

危ないと言われた以上は「自己責任」とはならないですよね。車を運転していた、明白な加害者が居る以上、責任は運転者です。夜の車道で寝転がってたとか無茶な状況なら、また話が変わりそうですが。

  • 「ISIL(ISIS)は危険だ」と言われた上で行ったら捕まった。

さて、これを「自己責任」と言うかどうかです。

 

1.自己の危険において為したことについては、他人に頼り、他人をあてにするのでなく、何よりもまず自分が責任を負う 

怪我や落命なら「自分が責任を負う」の範疇で処理できるでしょうが、拉致された場合が問題です。ISILは身ぐるみ剥いで満足してくれる筈もなく、捕まえた人の国の政府を名指しして交渉を持ちかけます。政府のリソースを相当量、この案件に割くことになります。ニュースになれば論争起きて世論も荒ちゃいます。他人に迷惑かけまくりです。「自己」じゃないです既に。
どう責任をとるか?を模索します。「損害を補償する」など勿論無理で、「一定条件で手打ちとする」としても、示談できる妥協点などあるんでしょうか?詰まるところ「責任の取りようがない」と思います。

 

2.個人は自己の過失ある行為についてのみ責任を負う

 あくまでこの命題だけに主眼を置いて考えれば、ISILに捕まる、という時点で、個人の過失だけとは言えません。明白な悪意を持つ加害者が存在します。足滑らせて谷底に落ちた、という話では無いです。

 

 3・個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う 

強制や判断能力喪失の場合は免責、ということみたいです。危険を承知で行く選択をした結果であれば、自己責任ということになります。

 

結局のところ都合による解釈次第ですか。どっちにも取れる。渡航するのも自由だし権利だ、って話になっちゃったり。でも最後には人様に迷惑かける以上、「自己責任」じゃないと思ってます。「俺の自己責任だから」なんて言うとかっこいいですけど。

夜道の車の例もそうですが、大怪我とか死亡とか、リカバリの効かない被害を受けてしまったら、一番損するのは他ならぬ自分自身ですよね。

 

「自己責任」結局は一人で責任とりきれない

夜道の車の例と似てるだろ、と言われるかもしれませんが、法律による制御が効くか否かという点で、全く違う話かと思います。車の運転者が、ぶつけた相手を人質にとってDPRKに高飛びして、日本を脅迫すれば別ですが。
「自己責任」といっても、本当に自分だけの責任で閉じられることって滅多に無いと思います。何かやらかせば家族親戚友人会社、金銭的にも社会的にも迷惑かけます。自分だけで責任とりきれないんですよね。これってもう「犯罪者」じゃないの?と思ってしまいます。

 

長々と変な主張、おつきあいありがとうございました。

 

 

Copyright © 2015 Niwatori To Tamago Jyuubako No Sumi No Tatakai

All rights reserved .

S.kutsumiya@gmail.com