NHKの情報番組でも取り上げられる程に、「ミニマリスト」流行ってますね。僕が初めて知ったのは、この残念ブログを始める為、はてなに来た頃。まだ世間では周知されてなかったかも?
あ、タイトルがアレですけど、批判記事じゃないです。
個人的に思ったミニマル生活の成立条件。東京で食費2万円/月で生活できてますけど、マキシマリズム無しでは無理な気がしたもので。
ミニマル食生活
半額メンチカツ4個120円に心躍らせ、おから1kg50円で小腹が空いた時の煮物をストック。近所の畑で大根100円(葉っぱ付き)があれば、これまた鍋一杯の煮物が完成。最近のマイブームは5kg780円のチュニジア産パスタ。勿論デュラム小麦100%。
ヒャッハー!弁当作れば2万円/月でお釣りきますよ吉祥寺郊外。肉はまあ、鶏肉メインですけど。
で、ここまで切り詰めないと来週にも餓死するか?といえば、別にそんなことはありません。好きでやってるだけです。
ケチで無駄な買物がストレスになる残念な性格なので、この生活パターンが自然と定着しました。セコいですね。高い食事に興味が持てず、「安くてうまい」に喜びを感じる系です、はい。
そんなわけで「ミニマル」を意識したことは無いんです、これが。心がミニマルなのは否定できませんが・・・
食以外に関してはあんまりミニマル生活してませんけどね。
マキシマリズムに支えられたミニマリズム
さて、この格安食生活の舞台裏。以下の理由があるんじゃないでしょうか。
- 大量生産、大量消費前提の低価格
- 大量生産による余剰品や副産物の格安販売(形状等の理由で出荷不可の野菜、豆腐の後に残ったおから、売れ残りの半額品)
最初からミニマル環境が前提であれば、この低価格は実現できない気がします。残り物には福が有る的な話なので。
「持たない」生活にこそ必要な大量物資とインフラ
娯楽に関わる物は別として。衣食住に関わる物さえ最小限で済ませるには、自分で備蓄する必要性の無い豊かな社会基盤が必要じゃないですかね。いつでも何でも最小限だけ買えばいい。これが成立する環境は、潤沢な物資と整ったインフラあってこそ。小銭があれば少なくとも明日の食糧は心配無いわけです。
世に物が溢れてるからこそ可能な「持たない」選択。さもないとそれはただのサバイバル生活ですね・・・やだー!
もし全員がミニマリストで生産も消費も最低限だと、このシステムの崩壊です。少ない物資に貧弱なインフラ。食糧はもとより、生活雑貨の確保にも難儀するのでは?世に物が無いんですから。配給制度か争奪戦の未来です。
朝市特売で「何でこんな並んでるの?」とブツブツいってるオバチャンをいつも見かけます。そりゃ多人数が安い物資求めてるからですよ。まさにミニマリスト人口増加の縮図に見えます。
他者排斥をするとミニマル生活が破綻する
「俺が使ってるのはパソコンじゃない、Mac!」
「私の家は神奈川じゃないよ、横浜!」
どちらも前者で正しい表現ですが、これを嫌う知り合いがいます。意外と多いかも。
上記の言葉には、
「Macは特別なんだ、パソコンとは違う!」
「横浜市民と神奈川県民を一緒にしないで!」
という心の声が篭ってます。
地域や道具に誇りを持つのは悪くないですが。過熱しすぎると、時として人はおかしな方向に走ります。僕も大概の残念生物ですけど。
「老害」と呼ばれる物も同様に、自分の取った選択こそが唯一の正解と勘違いした結果が、おかしな行動に繋がってます。他=悪の構図。
何がいいたいかといいますと、他者排斥運動をしてミニマル勢力が拡大してしまった場合。上記の通りの話なのですが、
僕のミニマル食生活に影響が出るので勘弁して欲しいです(笑)
みんながミニマルに纏まってしまったら、もはやそれがスタンダード。「ミニマル」じゃないですね。
マキシマリストとミニマリスト、一見真逆に見えますけど、その実WIN-WINな良好関係な気がします。両方いてこその絶妙なバランス。
日本的ミニマリズムと共産主義
ただの妄想です。
全ての人がミニマルで効率重視の省エネ環境、かつ変な方向に一人歩きしたら。
いつのまにか旧ソ連のコルホーズみたいになったりしませんかね(笑)
ならないかな・・・精神的ゆとりが無くなるので本来のミニマリズムとは反してますし。
ミニマリズムがいつのまにか
資本主義はんたーい、共産主義マンセー!
みたいな話にすり替わらない限り平気でしょう。なんか日本のミニマリズムと共産主義が、何故か近いような気がしたもので。只のフィーリングですが。
国防は是非マキシマリズムでお願いします。
こんなとこで終わっときます。ありがとうございました。