ニワトリとタマゴ 重箱の隅の戦い

重箱の隅をつつくような、どうでもよさそうな細かい話やネタ話。おもいついたら即暴走。

勉強ができても「残念」な人と、落ちこぼれでも「頭のいい」人

居ませんか?勉強できるのに何だかバカな人や、逆に成績悪いくせに妙に賢い人とか。「頭がいい」と「勉強ができる」は、ある意味ニワトリとタマゴになり得ますし、タマゴだけかニワトリだけな人もいます(また始まりましたニワタマ)。頭がいいからこそ勉強ができる人、勉強ができたから頭良くなった人。タイトルのように因果関係の無い人。僕は・・勿論勉強できなかった上に残念な人です。タマゴもニワトリも居ませんでした。

勉強のできないくつみや君

 勉強できるが頭を使えない人

勉強できる人は、さも火星の石版に書いてあるかのような、意味不明の数式をあっさり解いたりできるものです。僕は数学の時間はモノポリーと決めていたので、サッパリでした。しかしながら勉強ができる=頭がいいとは限らないのが、面白いところです。バカのやっかみかもしれませんが!
あらゆる科目をさながら「お試し期間」として学べる学校システムは、いざ卒業した後で思うと、まんざら悪くもなかったかな、と。知らない物に対しては、嫌いだと判定することすらできません。食わず嫌いは勿体無いです、納豆とか。そんな中で、勉強できるけど頭が悪い人というのは、「手段」の一環でしかない勉強を、さながら人生の目的にまで昇華させてしまった、ある意味「勉強廃人」かもしれません。
学校の勉強というのは、物事の本質に対して頭を使う機会が少ない気がします。研究室に入ると多少違うかもですが。「お試し期間」的なシステムがずっと続くが故、高校やその先でも、「君はこれをやりなさい」と、レールが用意され続ける訳です。答えの存在する、作られた問題をトレースするだけじゃ、頭は使いません。頭をやわらかく、とはよく言ったものですが、教える側の頭が四角いんじゃ・・・ね。

 

勉強できなくても頭を使える人

職場に、暴走族の元リーダーな人がいます。見た目はマジ怖いです。このブログバレたら〆られるかも(零細ブログを通り越してステルスブログだからきっと大丈夫!)。学歴は無いですが、とにかく「頭がいい」人です。最初は「なんでこんなのが開発に来れたんだ?」という、極めて悪い空気だったそうで。見た目も怖いし(笑)マザーボード作ってる所に族が来たら、誰だって驚きます。

しかしながら、広域で3桁の配下を常に仕切る、族のヘッド。頭を使っていたのでしょう。自分の置かれた状況を分析し、知識やスキル等、「今自分に必要な道具は何か?」を、極めて的確、効率的に把握し、学ぶべき要素を洗い出し、あっという間にスキルアップ。なんとなく電気科の修士とりました的な新人をゴボウ抜きにして、先輩陣にせまる追撃だったそうです。(僕より大分先輩なので、ちょっと伝聞入ってます)
この人の場合はちょっと特殊ですが。部活でもスポーツでも趣味でも、自分で頭を使うということは、机で勉強しているより重要かと思います(それも必要ですが)。考える習慣無いままに、ただ勉強して貯めこんだ知識量のオフセットは、残念ながら頭の使い方を知っている人に対しては大したアドバンテージにならないです。「勉強ができる」だけでは、課金アイテム無料プレゼント程度の恩恵かもしれません。

 

本当に必要なことは、徹底的に勉強する

もちろん勉強することを否定してません。しないと無理です。自分の脳内シミュレーション(考える)だけでは妄想の域を出ません。「わからない」ことはどれだけ考えても「わからない」から。考えることは重要だけど、正しい情報が手元に無いのにいくら考えても、ワイドショーのコメントや、このブログの文章程度の価値というものです。外から別の知識や見解を拾ってくる必要があります。情報を精査して繋ぎ、自分のツールにする。RPG的にいえば「新アビリティ取得」です。本当に必要で勉強したことって、一生忘れないものです。学校で習ったことは・・・ほとんどは頭の倉庫行きですが、ときどき取り出して役に立つこともありますね。やっといて損はない、ってとこですか。

 

勉強ができる

=「指示されたことだけ」を忠実にやれる 

 

頭がいい

必要な方針を「自分で決めて」行動できる

 

考える」ということの考え方の差が、ここに出る気がします。目的を正しく見据え、考える力がある上で勉強が得意なら、鬼に金棒ですね。

 

ありがとうございました。

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